剛柔流空手道の歴史
空手道は、わが国古来の武道ですが、その起源は、沖縄古来の格闘術と中国との交易により伝わった中国拳法が骨幹をかたちづくり、それが現在の空手道として発達してきたのです。
剛柔流について
剛柔流空手道は、中国圏法に従来の手の良さを加味して、郷土に向くように改良された空手の技です。その技は、沖縄在住の空手先生方による研鑽と努力によって形作られました。
剛柔流の流祖、開祖、範士
剛柔流流祖 東恩納 寛量 先生
中国福健省福州で17年間リュウリュウコウ先生から中国拳法を修行研鑽し、帰朝後は生まれ故郷の那覇市西本町で「那覇手」の主流としてその普及につとめました。
先生は空手中興の祖と仰がれ、那覇手に一生を捧げられました。豪力で身が軽く、足技を得意とされ「足のひがおんな」と異名をとられたそうです。
剛柔流開祖 宮城 長順 先生
東恩納先生の高弟で13年間余り師事され、師の亡き後さらに中国福健省福州に渡り中国拳法を修行し、帰朝後はその普及につとめ、県内は勿論本土や遠くハワイまで足を延ばして指導にあたられました。
先生はご自分の生涯を空手道振興の一途につらぬかれ、科学的かつ普遍的合理性を注入し研究され、組織的体系づけで日本の空手を大きく前進させた人です。
拳法八句のなかの「法剛柔呑吐」を引用して剛柔流と命名した先生は、超人的神技を体得されたばかりではなく、拳聖として崇敬され「シシトイマーグシク」「ブシマーグシク」と云われ有名でした。
剛柔流範士 比嘉 世幸 先生
13才の頃から東恩納寛量先生に師事を受けたが、師亡き後引き続き兄弟子である宮城長順先生に教えを受け多年、この道の研鑽をつまれた。
1931年道場を開設した先生は生涯を空手道の研究と子弟の指導に尽力された清廉潔白な武人でした。
先生は「柔よく剛を制す」の実践者であられ、その生活態度とあのすばらしい技法はいまだ記憶に新しいところであります。
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